アバルトネタがメインのブログですが、たまにはTHINKなことも書いてみようかと思います。


私は、合理的な人間と言われます。左脳タイプと言われたり、ある人からは冷たい。と言われたりすることも。冷たいという人のほとんどは、ほとんど会話をしたことが無い人なのですが、おそらくこの冷たいという表現の一つの理由が、(人情味が少ない)合理的な判断をする人と思われているのだと思います。


とはいえ、うさうさ脳診断では、完全な「うう男」で右脳人間だと思っています。
※うさうさ脳診断を信じるあたりで、すでに合理的な人間でないような気がしなくもないですが・・・


さて、タイトルの合理的な判断について少し思ったことを書こうと思います。

人間は、自分にとってメリットとデメリットを天秤にかけて判断をします。
例えば、「得だと思えば行って、損だと思えば行わない。」「同じ商品を買うのであれば、100円と150円なら100円のものを買う。」といったようなものです。

さて、ここに時間軸を少し足して考えてみましょう。

同じ機能を満たす商品だが、100円の商品は1か月の耐久性だが、150円の商品は2か月の耐久性である。どちらを購入するでしょうか。この状況であれば、150円の商品の方が1か月あたりの単価は下がりますので(100円の商品は1か月100円、150円の商品は1か月75円)、得と言えそうです。


この時間軸というものが厄介になるときがあります。それは、感情や向き不向きです。

趣味で考えてみたいと思います。
例えば、習得すると大ハマりしてしまう趣味があったとします。その大ハマりの度合いを1ハマり、2ハマり、3ハマり・・・とします。
1日で習得できるものは1ハマりの快感しか永続的に得られないものですが、1か月で習得できるものは150ハマりの快感を得られるとします。これであれば、どうでしょうか?

面倒だから1ハマりの快感でいいという人もいれば、いや150ハマりの快感が欲しいから1か月頑張るという人もいる事でしょう。
※趣味ですから、時間だけでは得られないと思いますが、1日の経験量は等しいものとして考えます。


私の推測ですが、これはその人の性格や能力、そして感情が、趣味を左右するという(≒楽しいと思う)一つの要素名のではないかと思うのです。


私は絵を描くのが大変苦手です。中学時代は一生懸命書いて、提出期限も守って、先生との仲も悪くないのに「2」しか取ることができませんでした。
今でも絵を描くのはうまく描けず苦手としているのですが、絵が趣味の人はどうして自分が苦痛と思うようなことを趣味にできるのだろう。とも思っちゃったりするわけです。

つまり、その趣味に向く能力を当初から持ち合わせていたりすれば、150ハマりの快感を1日で習得できちゃったりもする可能性があるとすれば・・・

車が趣味なのはなぜでしょうか。でも、覚えているのは、子供のころに車をカッコいいと思ったことがきっかけです。1回の事だったのか、複数回の事だったのかはわかりませんが、やはりハマったからなのでしょう。




趣味が無いという人がもしもいらっしゃったら、いろいろな情報に触れやってみようかと一歩踏み出すことが、楽しみを見つける近道なのではないかなぁ。とやはり思ってしまうわけです。